個人の主体性 ①

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[個人について]
 臨床心理学には、論理学的に次の2つの立場が考えられます。
  A.個人の部分が個人全体を動かす。
  B.個人全体が個人の部分を動かす。
 Aを日常でよく使われる言い方で言うと、「心が私を動かす」、「感情が私を動かす」、「本能が私を動かす」、「習慣が私を動かす」、「性格が私を動かす」、「幼児期の心の傷が私を動かす」、「コンプレックスが私を動かす」、「自我が私を動かす」となります。これは、一般的な社会通念ですし、フロイトやユングの立場です。
 これに対して、Bがアドラー心理学の立場です。アドラー心理学は、「私が心を動かす」、「私が感情を動かす」などと考えます。このときの「私」は、フロイト心理学などでいう「自我」や、あるいはユング心理学などでいう「自己」ではなく、精神も身体もすべて含めた * 個人全体のことです。

* このような「個人(individual, Individuum)」という概念を、アドラーは、病理学者R.フィルヒョウの定義:「すべての部分が共通の目的のために協力するような統一された全体」から学んでいます。

[主体性とは]
 アドラー心理学で個人を語るときは、「個人が精神や身体を動かす」というように、「個人」を文の主語にして考えます。逆にいうと、「精神(例えば感情)が個人を動かす」というように、個人を文の目的語に置きません。このことを、アドラー心理学では個人の主体性といいます。

個人の主体性 ②