記憶は話をするたびに変化します。

 記憶は話をするたびに変化します。だから、その人のある過去のこと聞いて、それを何かの判断材料とするときは慎重であるべきです。

 普通は、過去の出来事があって(原因)、現在の出来事が起こっている(結果)と考えるのですが、人間はそんなに単純ではありません。人が、これまでのことについて話す場合は、まず現在の状況があって(原因)、それが過去の記憶を作る(結果)と考えたほうが正しいのではないかと考えるのです。
 つまり、昔のエピソードを語る(レポートする)ときには、その人の現在の状況や考え方が自然に反映されたものになります。そのエピソードが明るいものなのか、楽しいものなのか、つまらないものなのか、つらいものなのか、暗いものなのか、そうした意味づけや色づけは、あたかもロールシャッハテストをその人が解釈するように、その人の状況が間違いなく投影されます。

 エピソードそのものには意味はないのですが、そのエピソードをどんなふう語る(物語化する)かというときに、その人の信念システムが反映されます。たとえば次のような語り---

 「私が子どもの時、自動車のドアを開けたときに、外にいた子どもにドアをぶつけてしまった。私は何にもできなくて、私のお母さんがその子に謝っているのをただ見ていた。私は親にすまないなと思った。」

 この人は「自分が何か失敗をして他人に迷惑をかけるのではないかと思って恐れている。しかし、同時に親や別の人が何かあった時には自分をかばってくれるはずだ」と思っているのが分かります。ドアで子どもをぶつけたのは「課題」のひとつです。解決の状態は「私の代わりに親が謝ってくれる」こと。そして「すまないなという気持ち」をそのために使うのです。

 個人個人が語る「物語」は、その人の「信念」を見事に反映しています。

 「開けたドアが外の子どもにぶつかった」というところまでは同じでも、もし、この子が「私のことは自分で責任を取れる」という信念をもっていたら、この場合とは違う語りになります。どのように語るかを考えてみてください。(そのような子は、そもそもこのようなエピソードを記憶してないかもしれませんが・・・)