子どもの不登校!!アドラーさんならなんて言う?

「学校に行きたいけど、行けない。」

 不登校の子は、本当は学校へ行きたいのだけど行けないのだ。その心の葛藤の中に不登校があるのだと言われることがあります。フロイトさんだったら、「そう、矛盾した二つの対立の中にその子どもの本質があるのじゃ。」とおっしゃいそうですが、アドラーさんなら何と言うでしょう。
 アドラーさんは、「人間にできることだったらできます(Everyone do Everything)。」「人間全体の中には矛盾はありません。」と言い切っています。フロイトさんと真逆の発想ですね。野田先生がアドラーさんのことばを分かりやすく話してくれます。「口で言うことや心で思うことと行動は一見矛盾しているように見えますが、それらは奇妙に協力し合って、ある一つの目標に向かっているのです。ですから。カウンセリングの中でクライエントの言っていることとやっていることが矛盾しているところ、乖離しているところについて敏感である必要があります。」「アドラー心理学の対人関係論の原則に則ると、クライエントは心や言葉を使って自分自身や対人関係を操作しているはずですので、そのまま受け入れてしまうとクライエントの操作に巻き込まれてしまうか、そうでなくても同じ見落としに陥ることになってしまいます。」とおっしゃいます。
 仮に、子どもに巻き込まれてしまうとどうなるでしょう。本人は行きたいのに行けないとなると、本人の問題以外に原因をさがすことになるので、学校でイヤなことがあるのかな?勉強に困っているのかな?と考えてしまいます。それで、実際に何かの問題を解決できて、それで再び元気に学校に行けるとよいのですが、そうでないと、行き着くところ「家でゆっくり休んでエネルギーをためてください。」となります。原因論の落ちこむ場所です。

 矛盾に気が付くとどうなるでしょう。まず、矛盾を解消してみましょう。子どもの行動は、「学校に行けない」が事実であるにもかかわらず、なんで矛盾した応答をするかというと、「学校には行くべきだ」という当為に対する応答であることに気付きます。要するに、世の中一般の価値観が背景にありそうだなと考えてみます。となると、「ぼくは学校に行くべきだとは分かっている」という意味だろうと気付きます。そうすると、「ぼくは学校に行くべきだとは分かっている」と「行きたくない」は矛盾なく繋がります。
 「全体論」から考えるとこのようになります。

 この後、矛盾のない言葉で合意を取ることができると話が前に進むことがあります。ちょっと難しい話になりましたが、心理師はこんなことをあれやこれやと考えてカウンセリングをしています。
 この後はどうすればよいかはお子さんの状態や年齢によって展開が違います。また、小学生でしたら親(特に母親)がやれることがありますので、どうぞカウンセリングにお越しください。

不登校の現状