心理学の三巨頭の一人アルフレッド・アドラーさん 

うっすら笑みを浮かべるアドラーさん
当時のアバディーンのユニオン・ストリート

 心理学の巨匠と言えば、フロイトさんとユングさんとともに名前が挙がるのがアドラーさん。フルネームは、アルフレッド・アドラーといいます。この三人は心理学の創生期に、ウイーンの同じ研究会に所属して共同研究をしていたのは有名な話です。しかし、彼は、「ヒステリーは、幼少期の性的虐待が原因だ」と主張するフロイトさんに、他の理由も加わってついていけなくなり研究会を脱退してしまいます。(次いで、ユングさんも脱退しました。)20世紀初頭のウイーンは、心理学のシーンにとってすごいことになっていたのです。

 その後、アドラーさんは、第一次大戦終戦の混乱期でもあったウイーンで、独自のパーソナリティ理論に基づくアドラー心理学(インディビジュアル心理学=アドラー心理学)を創始しました。そして、彼は休む間もなく精力的に活動しました。
 児童相談所を世界で初めて設立したのは彼です。そこでクラスの様々な生徒について助言を求める教師や、子どものことについて助言を求める親にカウンセリングを行いました。彼の児童相談所には、毎日たくさんの教師・親が訪れたそうです。(アドラー心理学はアドラーさんの時代から、子どもの問題や親・教師の問題にとても関心がある心理学なのです。)

 アドラーさんは、ウイーンの政治が不安定になった1935年からはアメリカに移住し、一年の半分をアメリカとヨーロッパでカウンセリングと講演に明け暮れたそうです。さらに夜はカフェで仲間と遅い時間まで議論を交わすのが好きだったアドラーさんは、休む暇もなかったのにもかかわらず、仕事のペースを緩めなかったそうです。
 そうして、多忙を極めたある日、スコットランドのアバディーン大学の講義最終日の朝食後、散歩に出かけた先のユニオン・ストリートでついに倒れてしまいました。心臓発作でした。アドラーの弟子達は、突然のアドラーさんの死を悲しむとともに、あることに大変困りました。実は、彼はたくさんの講演録や数々の著書をのこしたものの、理論の体系化に手を付ける前だったのです。

 アドラーさんの死後、彼のやり残したアドラー心理学の理論を体系化したのが直弟子のアンスバッハさんです。現在、日本におけるアドラー心理学の基本理論は、アンスバッハさんが整理した基本公理とそれを日本に適応するように改良した野田俊作さんの理論に基づいて作られています。

続く